日本の高校生が自己肯定感が低い理由について自己肯定感の低い私なりに考えてみる

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こんにちは。

もし、自分のことを「価値のある人間だと思う」と問われたら、あなたは自信を持って「そうだ」と答えられますか?

文部科学省所管の独立行政法人 国立青少年教育振興機構が平成29年度に高校生を対象として実施した調査によると、日本の高校生はアメリカや中国、韓国の高校生と比べて自己肯定感が低い傾向にあることがわかったそうです。

中でも「私は価値のある人間だと思う」という設問にたいしては、米中韓では80%以上が「そうだ」「まあそうだ」と答えたのに対し、日本の高校生は半数以下の44.9%とほかの3カ国に比べ著しく低かったのです。(ただ、それでも7年前の36.1%と比べると8.8ポイント改善しているそうです)

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自己評価(「そうだ」「まあそうだ」と回答した者 割合)

(参考)高校生の心と体の健康に関する意識調査―日本・米国・中国・韓国の比較―結果の概要

この結果について、あなたはどう思われたでしょう?

「知ってた」
「そりゃ、そうだよね」

もしかしたらそんな風に思った方も多いのではないでしょうか。かくいう私もそんな一人。思いがけず「自信なく過ごした自分の高校時代」を思い出してしまいました。

今回は、そんな自己肯定感の意味から、日本の高校生が自己肯定感が低い理由について、今なお自己肯定感の低い私なりに考えてみます。

自己肯定感とはなんだろう?

そもそも、自己肯定感とは何でしょうか?

自己肯定感とは「ありのままの自分で良い」「自分はかけがえのない存在だ」「無条件」に自分を肯定する感情です。この「無条件」ということが重要で、他者からの言葉や、置かれた環境に左右されることなく「自分は大切な存在だ」と感じる心の感覚、それが自己肯定感です。

自己肯定感については以前こちらでも取り上げました。

「自己肯定感」と「承認欲求」 – 思考は現実化する

子どもの自己肯定感を伸ばす方法

自己肯定感は、小学校高学年の時期に重視すべき発達課題の一つとしてもあげられています。でも、子どもの自己肯定感はどのように伸ばすのでしょうか?

先日、はてなブロガーの貯め代さん(id:tameyo)が家庭教育の大切さについて書かれた記事「【親の年収と子どもの進路】逆転を狙うなら家庭教育こそ大切に」の中で紹介されていた、現代ビジネスの記事「塾に行かずにハーバード合格させた「最強の母」が説く教育の極意」では

家庭でしか伸ばすことのできない第一の条件、それは子どものポジティブな自己肯定感です。

と、自己肯定感を学校や塾では育たないものの1つとして紹介されていました。

塾に行かずにハーバード合格させた「最強の母」が説く教育の極意(廣津留 真理) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)

自己肯定感を養うのは、テストの点数のみを評価する学校や学習塾の減点主義的な発想ではありません。つねに子どものいちばん近くに寄り添い安心感を与えて、愛情を込めて褒めてあげる親以外いないのです。

それは、「○○ができたからお利口ね」と褒める条件付きの愛情ではなく、「あなたがいてくれるだけで幸せ」という無条件の愛情である必要があります。そう、自己肯定感を養うのに必要なのは「アンコンディショナル・ラブ(どんなときも何があってもあなたの味方です)」と「フル・アテンション(いつもあなたを見守っています)」。これらをお子さんに与えられるのは家庭教育だけです。

(現代ビジネス/「塾に行かずにハーバード合格させた「最強の母」が説く教育の極意」より)

「子どもに「条件付きの愛情」ではなく「無条件の愛情」を与えられる家庭教育だけが子どもの自己肯定感を伸ばすことができる。」

それならば、日本の高校生の自己肯定感が低い理由は、日本の家庭、親の子どもへの寄り添い方に問題があるのかもしれません。

「寄り添う」のではなく「干渉」してしまう

子どもに接するとき、子どもに良かれ、失敗しないように、と思ってつい口を出してしまうこと、ありませんか?

生まれたばかりの赤ちゃんは親が100%干渉しなければならないように、まだ子どもが小さく目が離せないような頃には「干渉」は必要です。しかし、中には、子どもが大きくなっても同じように「干渉」し続けてしまう親もいます。

それが行き過ぎてしまうと「過干渉」になってしまいます。

「干渉」には「かわいいから」「心配だから」というものや「子どもに任せるより自分がおこなった方が早いから」「時間がないから」、さらには「こうして欲しい」という親の強い願望を投影したようなものまで、その理由はさまざま。

しかし、行き過ぎた干渉(過干渉)は

「子どもが自分でチャレンジして乗り越える」

という体験の機会を奪ってしまっている可能性があります。

また、親の強い願望は、子どもにとっては「条件付きの愛情」を強いてしまうこともあるかもしれません。

「過干渉」によって体験を機会を奪われたり、親の顔色をうかがうようになった子どもは、親に依存した状態で成長していくことになってしまいます。親の方でも、いつまでも自分を頼ってくれる子どもを愛おしく好ましく感じて、いつまでも子ども扱いして「干渉」し続けてしまうと、共依存関係が成立していつまでも「親離れ」「子離れ」できなくなってしまいます。これでは子どもの自己肯定感を伸ばすことは叶いません。

それでも、日本には、程度の差こそあれ「干渉」する親がとても多いような気がするのです。それが、ほかの3カ国に比べて日本の高校生の自己肯定感が低い理由の1つではないでしょうか。

「寄り添う」ことは「見守る」こと、「傾聴」すること

それでは、子どもに寄り添うとはどういうことでしょう?

それは子どもを信じて「見守る」ことです。

子どもがどんなことに興味を持って、どんな風にするのかを見守るのはとても忍耐のいることです。とくに家事に育児、そして仕事とフル回転の日本の親は、いつでも子どもに「寄り添って」いられないのかもしれません。

例えば、忙しい朝の時間には、ついつい

「はやく、食べなさい」「準備はまだなの!」

と子どもを追い立ててしまいがちですし、時間がないので片づけや着替えも全部手伝ってしまうかもしれません。

でも、もし、ゆっくり見守る時間やこころの余裕があるのであれば、子どもは自分の意志で考え行動し、体験して成長していく機会を得るのでしょう。

もちろん、子どもが小さいうちはある程度の干渉も必要です。でも、子どもが大きくなるのに合わせて、少しずつ「干渉」の割合を減らし「見守り」を増やしていくことが大切なのです。

もう1つは「傾聴」することです。

「傾聴」とは「相手の気持ちに寄り添って、注意深く共感的に「聴く」こと」です。子どもが自分の意見を自信をもって話せるようになるには、安心して話を聴いてくれる親の存在がとても重要なのです。

それなのに、親はついつい子どもに先回りして話をしてしまったりしてしまったり、子どもが考えるより先に「こうした方がいいよ」「こうしなさい」といってしまいがちです。(子どもの話を聴くよりも、親の意見を口にする方がラクですし)

例えば、子どもが泣いている時には、子どもの話を「聴く」より先に、親の方から「訊く(訊ねて問う)」ことを優先してしまうことはないでしょうか。でも、それは子どもの「考える」という体験の機会を奪ってしまう可能性もあると思うのです。

また、忙しいと子どもには「聞いてるよう」といいつつ「声が聞こえているだけ」というように「聞く」ことはありませんか。でも、忙しいからといっていつもそんなことばかりだと、いつか子どもは自分が邪険にされていると感じてしまうかもしれません。

とはいえ、子どもの話を「傾聴」するためには、やはり時間やこころの余裕が必要なのです。

子どもに「寄り添うこと」「つねに子どものいちばん近くに寄り添い安心感を与えて、愛情を込めて褒めてあげる」ことは、忙しい現代日本の親にとって、かなりハードルが髙いのかもしれません。

まとめ

自己肯定感が高い人は、その特徴として様々な物事に取り組む意欲が高く、失敗を恐れずに新たなチャレンジができるということがあげられます。

一方、自己肯定感が低い人は、学習や労働への意欲が低くなるだけでなく、成長の糧となる様々な試行錯誤に取組もうという意欲そのものが希薄になりがちです。

その自己肯定感を伸ばすには、家庭で親が「つねに子どものいちばん近くに寄り添い安心感を与えて、愛情を込めて褒めてあげる」ことが必要なのですが、現代日本の親にとって、それは決して容易なことではありません。

日本の高校生がアメリカや中国、韓国の高校生と比べて自己肯定感が低い傾向の裏には、家庭教育の問題が潜んでいるのかも。そして、現在の日本が抱える社会的な閉塞感の背景には、もしかしたら高校生だけでなく日本人全体の自己肯定感の低さが影響しているのかもしれません。

今回は、日本の高校生が自己肯定感が低い理由について、私なりに考えてみました。最後までお読みいただきありがとうございます。

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