どうして勉強したほうが良いのかスマホゲームに例えて考えてみる

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こんにちは。

もし、子どもに「どうして勉強しなきゃいけないの?」と問いかけられたら、あなたはどんな風に答えるでしょうか?

日本の学校では、国語、算数、理科、社会、体育、図工といった様々な教科を学びます。でも、大人になってからそれらがすべて必要なのかといえば、実際に学びを活かせる機会はあまりなかったりします。

数学者にでもならなければ、苦労して覚えたサイン・コサイン・タンジェントや因数分解も使うことはありませんし、仮定法過去と仮定法過去完了の違いがわからなくてもそれほど困ることはありません。

そんな大人たちのことを知ってかしらずか、時に子どもたちも親や教師に疑問を投げかけてきます。

「どうして勉強しなきゃいけないの?」

そんな時、あなたは子どもたちが納得できそうな答えを伝えることができるでしょうか。

大人になってからの経験から、どうして勉強をした方が良いか、感覚的に分かってはいるものの、それを経験していない子どもに納得してもらえるように伝えるのは、なかなか難しいものです。

今回は、「どうして勉強したほうが良いのか」について、子どもたちにもおなじみのスマホゲームに例えて考えてみます。

義務教育ステージ

日本では、就学義務年齢に達した子どもを小学校・中学校に就学させる義務があります。そのため、子どもたちは満6歳の誕生日を迎えると、そこから9年間、学校に通うことになります。

スマホゲームに例えるなら、この義務教育の9年間は、人生という長い勉強期間のチュートリアルを兼ねたプラクティス(練習)期間のようなものでしょうか。

この期間は、がんばって勉強しても、特に勉強をしなくても、淡々と進んでいくことがほとんどです。

中には、名門小学校や私立中学への受験を経て、別ルートを辿ることもあります。スマホゲーでも初期段階から課金して優位な条件でゲームを始められるように、この人生ゲームでも、生まれ育った環境によっては初期ブーストをすることができますし、生まれながらの才能によっては「UR」や「SSR」といったレアカードを所持した状態でスタートできることもあります。

逆に貧困家庭や、児童虐待といったハードモードでのスタートを余儀なくされてしまうこともあります。通常スタートの人に比べ、勉強時間や環境、サポートアイテム(教材)などで恵まれないことも多くあります。

また、なんとか無事にスタートすることができても、いじめや両親の離婚、親の離職というようなイベントが発生することもあります。

このように人によって条件は様々に異なりますが、とはいえ日本では9年間のプラクティス期間が保証されており、勉強だけに集中する時間を確保することが可能できるようになっているのです。

プレイヤーはこの時間を、子どもという制約こそありますが、基本的には自由に使うことができます。(もっとも中には、環境により阻害・束縛されるケースもありますが。)

さらに、このプラクティス期間中は”とても恐ろしいことに”一所懸命勉強した人も、特に何もしなかった人も、等しく全員がゴールまで自動的に進んでいってしまいます。基礎学力が身についていても、いなくてもおかまいなしにどんどん進んでいってしまいます。

学校や先生という専用のインフラを使用でき、ゆっくりとしたペースで学べるこの期間は、スマホゲームやMMOでいうところの「初心者優遇期間」のようなものです。この期間をうまく利用すればその後のゲーム進行はよりスムーズになります。もちろん何もしなくても、ゲームに参加することは可能です。

そして、この期間の勉強で基礎学力をどこまで身につけることができるかによって、次に進むことができるルートが大きくことなってしまうのです。

未成年ステージ

義務教育ステージから先のステージ(仮に未成年ステージとしてみます)は、これまでのような横並び自動進行では無くなるかわりに、さまざまなルートの選択肢があります。

現在の日本で最も一般的なルートとなっている高校・大学進学をはじめ、専門学校、就職などその選択肢は実に千差万別です。

しかし、どのルートに進むことができるかは、これまでの義務教育ステージで培った能力により選ぶことができる範囲が限定されてしまいます。

これまでのステージで、より多くの能力を身につけていれば、自ら進みたいルートを自由に選択することが可能になります。人によっては、義務教育ステージの段階で中高一貫校や大学までエスカレータ式の学校などのルートを進んでいることもあるでしょう。

逆に、よりハイレベルな高校への進学ルートを希望しても、そのステージに参加する条件を満たしていなければ、参加することはできません。そして、あなたが望む望まないにかかわらず、どこかのルートに振り分けられ、時間はどんどん進んでいってしまうのです。

そんな未成年ステージは、未成年という制約こそありますが、義務教育ステージの頃に比べさまざまなことができるようになります。

就職して自分の力でお金を稼ぐことも、たとえ就職を選ばなくても、アルバイトでお金を稼ぐもで可能です。

一方で、これまでのように、特に何もしなくても自動的に進むのではなく、一定の基準を満たさないと、先に進めなくなってしまうこともあります。

せっかく希望の高校ルートに進んでも勉強についていけなければ留年してしまうこともあります。また、ルールに背いてしまって退学させられてしまうこともあります。

また、進んだルートによっては、これまでの義務教育ステージのように「勉強だけに集中する時間を確保すること」が難しくなってきます。

例えば、就職ルートを選んだ人が、やっぱり高校進学ルートを選びたい、と考えたとしても、仕事をしながら勉強時間を取るのは容易ではありません。

仮に、理解ある親で「仕事をやめて勉強に専念しても良い」といってくれたとしても、義務教育ステージの時のように学校や先生という施設の恩恵を受けることはできません。

すでに「初心者優遇期間」は終わってしまったのです。

人によってはこの段階で、義務教育ステージでしっかり勉強しなかったことを後悔することもあります。

しかし、この時点で気づくことができれば、がんばり次第で新しいルートに進むことは可能です。まだ「若さ」と「時間」というアドバンテージを活かすチャンスは十分あります。

社会人ステージ

未成年ステージを終え次のステージ(仮に社会人ステージ)に進むと、これまでの制約がなくなり、自動車免許の取得、結婚、選挙の投票、二十歳になれは飲酒や喫煙など、じつに多くのことが自らの意思でできるようになります。

一方で、選択できるルートについては未成年ステージから引き続き、これまでに培ってきた能力により、選ぶことができる範囲が限定されてしまいます。

例えば、一流企業入社ルートへ進むには、エントリーで足切りされないだけの学歴、試験を突破する学力、面接をクリアするコミュニケーション能力(それを支える教養)などが必要になります。

もし、強力なコネクションがあれば、それを最大限に発揮するのも良いでしょう。

また、自分で稼ぐ力を持っているのであれば、就職しなくても自分の力で生きていくことも可能ですし、親が資産家であればずっと脛をかじり続けるというルートを選択することも可能です。

でも、そういった能力やコネ、お金のない場合でも、生きていくためになにかしらのルートを選択しなければなりません。

たとえ、それがブラック企業ばかりだったとしても、他に選択肢がなければ進まざるをえません。

逆に、能力やコネ、お金のある人であれは、たくさんの選択肢の中から、自分の好きなものを選ぶことができるチャンスがあります。自らの意思でブラック企業を選ぶことだって可能なのです。これは選択肢が多いから可能なのであって、逆はできないのです。

お金に例えるなら、1万円持っている人であれば500円のランチも1万円のランチも食べることができますが、500円しかない人は500円のランチしか選ぶことができません。そして、もし、300円しかなければ500円のランチすら選ぶことができないのです。

時間の消費と選択肢の消失

社会人ステージでも、一度、選択したルートを選び直すことはもちろん可能です。しかし、選択したルートによってはそれも容易ではありません。

例えば、生活できるかできないかくらいのギリギリの給与で、休みなく働かなければならないブラック企業に入ってしまったら、転職するための時間を取ることも、仕事を辞めてしばらく暮らせるだけのお金を貯めることもできません。

若く、親がまだ元気で関係が良好であれば、実家に戻って再起をかけることができるかもしれません。しかし、歳を重ね、親が他界してしまったら、その選択肢はなくなってしまいます。

転職するにしても若者と中高年では培った経験でもなければ、難易度が大きく異なります。(往往にしてブラック企業では評価される経験を培うことが難しいケースもあります。)

かといって、そうした環境に甘んじて時間を消費してしまうと、「若さ」という武器を失い、選択肢がよりいっそう狭く、少なくなっていってしまいます。

退職金も年金も望めず、もはや八方塞がり。

なんてことにもなりかねないのです。(すでにそうだという人もたくさんいるかもしれません。)

もちろん「若さ」と「時間」を失っても、ある程度の選択肢を維持する方法もあります。何を選択しても大丈夫なだけの「お金」があればいいのです。

もし、「若さ」と「時間」を失ってしまい、かつ「お金」も無いという状態に陥ってしまったら、そこから抜け出すのは容易ではありません。生きるために、限られた選択肢を選ぶしかなくなってしまうのです。

まとめ

今回は、「どうして勉強したほうが良いのか」について、子どもたちにもおなじみのスマホゲームに例えて考えてみたつもりでしたが、振り返るとあまりうまくスマホゲームには例えられていないような気がします。

子どもの頃から勉強を積み重ねていくと、ガチャを引ける回数(選択肢)が増えたり、レアやスーパーレア確定ガチャが引ける機会が増える(選択肢のグレードが上がる)的に考えはじめたのですが、うまくまとまらずこのような内容になりました。

結論からいうと、「勉強をしないと選択肢が少なくなってしまう」→「勉強をしたほうが良いのは人生の選択肢を増やすため」ということなのです。

ですが、これは何も学歴による進路選択のためばかりではありません。

例えば、ゲームに限っても勉強による恩恵はいろいろあります。

英語ができれば、ローカライズされていない英語のゲームも楽しむことができるようになります。

文学や歴史、科学に強ければ、ゲームのバックボーンにある設定を深く理解してより楽しむことができるかもしれません。

基礎的な運動能力が高ければeスポーツで活躍し、世界大会に行ける可能性もあります。(ちょっと無理があるかも)

学校での勉強は、基礎ばかりでつまらないと思うかもしれませんが、知っているだけで見える世界が変わることもたくさんあります。そして、それは人生をより楽しむためのエッセンス=楽しい人生の選択肢を増やすことにもつながるのです。

また、知識はあなたの語彙を増やし、会話の幅を広げることにもつながります。豊かなコミュニケーション能力は、あなたが付き合うことができる人の選択肢も増やすことにもつながるでしょう。

「どうして勉強したほうが良いのか。」
それは、人生を楽しむ選択肢を増やすためなのです。

「どうして勉強したほうが良いのか」についての考察は以上です。

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