今はもういないあたしへ…

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「今はもういないあたしへ…」

なんとも意味深なタイトルですが、これは新井素子さんの小説の題名です。

新井素子さんといえば、SF設定のサイコホラーな作品で、子どものころの私に数々のトラウマ的な恐怖を植え付けた印象があるのですが、この小説もその一つです。

今回は、この新井素子さんの小説「今はもういないあたしへ…」をご紹介しようと思います。

(たぶんネタバレしないで上手く説明することはできないので、ネタバレしたくない方はここから先には読み進めないでください。あと、少し後味の悪いお話なので暗い気分になりたくない方もここでストップしてください。)

パーマン1号が歯医者へ行くお話

とりあえず、いきなりネタバレするのもあれなので、まず、似たようなシチュエーションのお話をご紹介したいと思います。

「パーマン」といえば、藤子・F・不二雄先生のマンガ・アニメです。あまりご存知のない方のために簡単にご紹介します。

冴えない小学生、須羽ミツ夫はある日、宇宙人から装着すると怪力や空を飛ぶ能力などの力を得られる「パーマンセット(マスク、マント、バッジ)」を授かります。

「パーマン」は、主人公の須羽ミツ夫が仲間たちと一緒に力を合わせて正義のヒーローになるという物語です。

超人であるという秘密を持つ少年の葛藤、その矛盾に立ち向かう強さ、本当の正義とは何かを、独特の藤子ギャグで描く、藤子Fの代表作の1つです。(Wikipediaより)

つまり「パーマン」とは、小学生が正体を隠してスーパーマンのように町の平和を守るお話なのです。

正体を隠すために、「パーマン」は出動に際に、鼻を押すと押した人そっくりに姿を変える「コピーロボット」を使って、自分の留守のアリバイをつくります。

この「コピーロボット」のコピー機能がとても優秀。なんと、コピーロボットの記憶は、元に戻る前に本人とおでこをくっつけることで本人に引き継ぐことが可能なのです。

すごいですね!知識の蓄積が2倍に。

コピーロボットを使って勉強すれば、すごいことになりそうです。

しかし、今回ご紹介するのは、コピーロボットの間違った使い方のエピソードです。

ある時、主人公のミツ夫少年が虫歯になってしまいました。

すぐに歯医者さんに行けばよいのですが、怖くてなかなか行くことができません。

そこで、コピーロボットに行かせることを考えつきます。

とはいえ、コピーロボットもミツ夫の記憶を持ったコピーのため、歯医者は同じように怖いもの。

いやいやながら、歯医者さんに行くも、治療を前にして大暴れ。

先生や歯科助手にとても迷惑をかけてしまい、もう来るな!といわれながらもながらも、なんとか治療を終えます。

パーマンとして事件を解決し戻ったミツ夫は、コピーロボットから歯を治療した記憶を引き継ぎます。

しかし、当然ですが、虫歯は治っていません。

ミツ夫は仕方なく、歯医者に向かいます。

しかし、入り口で

「あなたの虫歯はもうちゃんと治療しました!」

といわれ歯医者から追い出されてしまいました。

「コピーロボットのミツ夫」が暴れてしまったこともあり、感情的な面からも再診料を拒否されてしまったミツ夫くんのお話です。

歯医者さんであれば、他の歯医者さんに行けばいいのですが・・・。

今はもういないあたしへ…

次は、いよいよ「今はもういないあたしへ…」の紹介です。

まずは簡単なあらすじ紹介です。

交通事故で瀕死の重傷を負った少女は、半年の昏睡から目覚めた。

身体に傷は残っていないにもかかわらず、事故の後遺症か、彼女は外界に対する現実感を喪失したまま悪夢に悩まされつづける。

そして次第に明らかになっていく恐るべき事実…

(「BOOK」データベースより)

ここから先は「ネタバレ」します。(うろおぼえなので、正確さには欠けます)

 

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物語の冒頭、交通事故にあって意識を失った「あたし」が、死後の世界と思わしき葦の河原でたたずんでいると、橋のたもとに、昔、亡くなった祖母が迎えにやってきます。

祖母に背負われ、橋を渡っていくと、途中で、後ろからものすごい力で髪を引っ張られます。

離れまいと懸命な祖母を振り切って、どんどん引き戻されていく「あたし」。どんどん引き離されていく中で、祖母が「あたし」にそっくりな別の誰かを背負って川の向こうに行くのが見えて・・・。

気がつくと「あたし」は病院のベッドで目覚めます。

両親や婚約者に聞くと、事故から半年もの間、眠っていたとの事。

記憶では、大変な交通事故にあったはずなのに、体に大きな外傷などもありません。

しかし、生活をしていても、違和感はぬぐえません。

そして、それから毎晩、夢を見るようになります。

それは、頭を切られて脳を摘出される夢や、計器類がならぶ部屋を見ている夢など。とても夢とは思えない「記憶」というべきリアルなものでした。

「あたしはあたしじゃないかもしれない。あたしは誰なのだろう。」

思い悩んだ末に、ついに「自分はクローン人間である」という結論へとたどり着く「あたし」。

クローン培養された体に、今までの自分の脳が移植された。そして、そのために、クローンが一人死んだ事を認識します。

婚約者はそんな彼女に優しく接しますが、以前のように彼と接することができなくなる「わたし」。

ついに、病院の地下深くに侵入した「あたし」は、そこで何百体もの培養器に入ったクローン人間を目にします。

その場に居合わせた職員ともみあいになり、職員は倒れた拍子に培養器のひとつを壊してしまいます。

培養器に入っていた少女が、土気色になって死亡してしまうのを目にして、 罪悪感と絶望に「あたし」はガラスの破片で自身を切りつけ、自殺してしまいます。

そして、場面は再びあの葦の河原。

しかし、いくら待っても、祖母も誰も迎えにきてくれません。

歯医者さんであれば、他の歯医者さんに行けばいいのですが・・・。

あとがき

子どもの頃、これを読んで以来、医療がいくら進歩しても自分のクローンで延命するのだけは絶対によそうと思いました。(そしていまだに思っています)

お迎えといえば、先日、こんな記事を読みました。

お迎え – Not doing but being

私も、誰かに「お迎え」され、安らかな穏やかな最後を迎えられるよう、今この瞬間を大切に、精一杯、後悔のない人生を過ごしたいと思います。

新井素子さんの小説「今はもういないあたしへ…」の紹介は以上です。最後までお読みいただきありがとうございます。

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