思考は現実化する

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思考は現実化する

自分の潜在意識を書き換えるために、自分が学んだ事を整理しまとめています。

父と息子2〈過去に向き合う〉

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この記事は前回の父との確執についての続きです。

前回、整理しきれなかった部分について、今一度、過去の自分に向き合って、私が何に囚われているのかを考えていきたいと思います。

 

(今日は、重苦しい内容になってしまいました。イヤな気分にさせてしまうかもしれません。そういうのが苦手な方は、ここから先には進まないようにお願いいたします。)

 

昔話「私と父」

以前、母にいわれたことがあります。

「私と父は、昔から折り合いが悪かった。」と。

 

私には、父にほめられたという記憶がありません。

(今、一所懸命思い返しているのですが、父の私への言葉の記憶は「否定」で占められているような気がします。)

誰かが私のことをほめてくれることがあっても、即座にそれを否定し「ぜんぜんダメだから」という人でした。(謙遜だったと思いますが、それでも私はそのたびに少し落ち込みました)

 

幼少時代の私の家族は、父、母、私、2歳下の弟の4人家族でした。

 

ものごころつく頃から、私はずっと自分と弟に対する父の接し方に「ちがいがある」と感じていました。

それは1つ1つはとても些細なことです。

 

小学校1年の時、学校に朝顔を植える鉢植えに入れる土を持って行くことがありました。父に話すと「そこら辺の土を持って行け」といわれたので、私はよくわからず粘土質の赤土を持っていきました。

 

2年後、弟が同じく学校に土を持って行く際、父は畑から肥沃な土を持ってきて肥料を調合して持たせていました。

 

弟と二人、庭で遊んでいたとき。テーブルを二人で移動した際に、父が作ったフェンスに机を寄りかけてしまいフェンスが曲がってしまったことがありました。その時は、理由も聞かれず私だけいきなり頬を叩かれました。

 

4年生の時、ポスターコンクールで賞を取ったとき。父に見せた賞状はそのまま丸めて筒の中にしまわれました。

 

翌年、弟が何かの賞をもらった時、父はすぐに額縁を買ってきて、その賞状を額に入れ居間に飾りました。(今でも旧宅の居間にその額が飾ってあります。)

 

夏休みになると、父は弟の工作をいつも手伝っていました。(私は父と一緒に工作したことは一度もありませんでした。)

 

ある年、弟の誕生日に、弟の見たがっていた飛行機を見に空港に出かけ、その夜は家でケーキを食べました。

 

その年の、私の誕生日、夜、ローソクのささったあんぱんでお祝いしてもらいました。(それでも、祝ってもらえたことがとてもうれしかった。)

 

小学校の頃、地域の子ども会のチームで毎年ソフトボール大会に参加していました。

6年生の時は、父がチームの監督をしていました。(子ども会の役は親が持ち回りで行うのです。)

以前にも書きましたが、私は筋金入りの運動音痴でしたので、6年生といえど補欠でした。それでも、通常、1回くらいは代打などで試合に出してもらえるものです。

しかし、その最後の夏の大会で、私の出番は最後までありませんでした。

そして、その年のチームでは、弟がピッチャーをやっていました。

(運動能力的には、弟は私よりは神に(そして父にも)愛されていたと思います)

 

小学生の頃、何度か家出をしたことがあります。今となってはどんな理由だったか思い出せません。忘れるくらいだから些細な切っ掛けだったと思います。

家出をすれば、両親が(父も)探してくれます。

たぶん、探してもらいたくて、という理由が一番だったと思います。

 

私は、父に愛されている、という実感が欲しかったのだと思います。

 

そんな私が、小学生の時に、父にしてもらって一番うれしかったのは、家族で出かけて疲れて車の中で眠ってしまったとき、眠った私を起こさず抱きあげ家まで運んでくれたこと。私が覚えている中で唯一の父に抱きあげられている記憶です。

 

中学1年のとき、もうよく覚えていないようなささいな理由で口論になりました。

当時、私たちの中学校では「希望ノート」という自主学習ノートを渡され、そのノートに毎日、課題をやって提出していました。

その日、私はその「希望ノート」にその日あったことを6ページに渡って書きました。当時の担任の先生なら理解してくれるのではと考えたのですが、次の日、担任からは課題をやっていないことの叱責があっただけでした。

担任は、クラスメイトにとても慕われている先生でしたが、それ以後、私はその”山本五十六”みたいな名前の先生を心の底から信頼することはしませんでした。

 

高校生の頃になると、以前よりは父との諍いは減りました。それは、私が父と極力接触しないようにしていたからです。

高校2年の頃は、520円という時給で月に5~6万くらい稼ぐくらいバイトに明け暮れました。父が出かけてから部屋を出て、父が寝てから帰宅するという生活で、半年くらい父に顔を合わさないように慎重に過ごしました。

もともと大して良くもなかった成績は急降下しました。

 

ある夜、父と顔を合わし、諍いになりました。理由は憶えていないので些細なことだったと思います。

でも、その時、私の首を絞める父に私が言った言葉だけは今でもはっきり覚えています。

「ぼくを愛していないじゃないか!?」

どういう経緯だったのか、どうして首を絞められてたのかは憶えていませんが、言葉だけは覚えています。

(我ながらよくこんな恥ずかしいセリフをいえたものです)

その時は(というかその時も)母が止めて、結局うやむやになったと思います。

 

それ以後、私は、極力、父と接しないように神経を使って過ごしました。

その頃から、私は、父とわかりあうことを諦め、お互いを刺激し合わない距離感をとることを第一に考えていました。

就職が決まるとすぐに家を出て、それ以後は、結婚して子どもが生まれるまでは、何かと理由を設けてほとんど実家にはいきませんでした。

 

こんな事ばかり書いていますが、父は小学生の頃は毎年1回は家族旅行に行ったり、休日には、家族で海や山や公園に出かけることもたくさんありました。

(でも、今思い返しても、その時、父とどんなことがあったのかは、まったく思い出せません。)

 

また、こんな私でも、ちゃんと大学まで出してくれています。

私がマンションを買うと決めた時も「相続時精算課税制度」を利用して資金援助もしてくれてもいます。

そういう面ではとても感謝しています。

 

結婚して、子どもができて、私は過去を克服したと思っていました

実家を出るまでは、顔を合わせば口論ばかりの父と私ですが、結婚して子どもができてからは、お互い以前よりはやわらかい関係になれたと思っていました。

 

父は、私の息子もかわいがってくれているように見えました。

 

その様子をみて、私は、私自身が父に愛されているように錯覚していたのかもしれません。

もちろん、私が父にまったく愛されていないなんてことはありません。前述の通り大学まで行かせてくれ、まったく家に寄り付かなかった息子なのに住宅の購入も支援してくれました。

 

以前、一度、父にいわれたことがあります。

「うちの前の土地を買って、ここに家を建てるか?」

その時は真剣に取り合いませんでしたが、もしかしたら父は結構、本気だったのかもしれません。

実際、弟は「うちの前の土地」でこそありませんが、近くに土地を買ってもらい家を建てています。(田舎のため、昔から住んでいる人の方が安く土地が買えるという嘘みたいな事情もあったようです)

 

実家に息子を連れていくようになってからは、以前ほど父の言葉に対し、ネガティブに反応することが減りました。ある程度は「まあ、そうだね」と受け流すことができていました。

それは、私自身が父親になったことで、父としての気持ちも多少は理解できるようになったからかもしれません。

もしかしたら、これまでは、妻の手前、父もそれ程ストレートに辛辣なことを言ってなかっただけだったのかもしれません。

 

いろいろあり、私は、妻と別居することを選択しました。

 

そのことで、父の言葉のタガが外れてしまい、前回

「おまえのしつけが悪いぞ」

という言葉になってしまったのかもしれません。

(さすがの父も、妻の手前でそんなことはいえなかったと思いますが、もしかしたら以前から思うところはあったように思います)

 

そんな父の思いなどつゆ知らず、私は、父と息子の様子をみて(子どもの頃に感じられなかった父からの愛を)私自身が父に愛されているように錯覚していたのだと思います。

 

私はやっと父に認められた、私の過去は清算されたんだと思っていました。

 

だからこそ、私は

「おまえのしつけが悪いぞ」

という言葉に、あんなに動揺してしまったのだと思います。

 

結婚して、子どもができても、私は過去を克服などできていなかったのです。

    


 

過去に向き合う

ここまで、思った以上に長く、また時間も遅くなってしまいました。

本当は以下の記事を参考に


「その過去は真実ではない」と気づく。

過去に支配されない生き方

 

というように気持ちをまとめるところまで書こうと思ったのですが、続きは別の機会に整理してみようと思います。

 

トラウマは存在しない。 

いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。

われわれは自分の経験によるショック―――いわゆるトラウマ―――に苦しむのではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。

自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである。(アルフレッド・アドラー*1

 

今、こうして考えることにきっと何かしらの意味があるとすれば「今まで見えないふりをしてきた、目を背けてきた自己に向き合うこと」だと思います。

 

このような機会に巡り合えたことに感謝いたします。

そして、このような記事を、今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

*1:アルフレッド・アドラー(Alfred Adler、ドイツ語発音: [alfreːt aːdlɐ](アルフレート・アードラー)、1870年2月7日 - 1937年5月28日)は、オーストリア出身の精神科医、心理学者、社会理論家。ジークムント・フロイトおよびカール・グスタフ・ユングと並んで現代のパーソナリティ理論や心理療法を確立した1人。