【動物学校】他人を認めること、自分を認めること【7つの習慣】

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こんにちは。

あなたは、自分とはちがう考え方の人たちを素直に受け入れ、認めることができますか。

今回の記事は、楽しそうにゲームをする子どもたちをながめながら書き始めました。

私とちがって息子にはたくさん友達がいます。

今日来ている子は、物静かで行儀よく小学生ながらも理路整然と話すことのできる”育ちの良さ”を感じさせる子で、おっとりしながらも友達にはけっこう強い感じの話し方をするうちの子とは違う感じですが、とっても仲良しです。

子どもに限らずとも、誰かと仲良くなるには、お互いを認め合うことが大切ではないでしょうか。今回は「他人を認めること、自分を認めること」について考えてみます。

人の数だけ世界がある

人間は一人ひとり、知的、感情的、心理的にも違っている。そして違いを尊重できるようになるためには、誰もが世の中をあるがままに見るのではなく、「自分のあるがまま」を見ているのだということに気づかなくてはならない。(スティーブン・R・コヴィー『7つの習慣』より)

私たちは”世の中”を自分たちの主観で見ています。

そして、自分が見ている”世界”と他の人の見ている”世界”が同じだと思い込んでいることがあります。

しかし、世の中に”まったく同じ人間”がいないように、実は見ている世界も人によって全く異なるということに”気づくこと”ができれば、広い視野で世界を見ることができるようになります。そう

世界は人の数だけあるのです。

先日、読んだこちらの記事に、私たちがどのように世界を見ているのかとても分かりやすく紹介されていました。

「人生わからない?」自分だけの色眼鏡を外せば世界が変わる – ココロクエスト~レベルアップ心理学ブログ~

違いを尊重すること

一人ひとりがそれぞれの思い込みによる

”違う世界を見ている”

ということに気づくことができれば、他人との思い違いが”諍い”を生むことが理解できるようになります。

長年、培われた自分の世界観・自分の主観だけで判断すると、そこからズレる他人が間違っている”ように感じられてしまうものです。

そして、お互いがお互いに「自分の主観が正しい」と主張し合えば争いになってしまいます。

かといって、一方が折れて”自分の世界が間違っている”と考えてしまうのも問題です。

(もしかしたら「自己肯定感」が低い人は、他人の世界観(親など)と合わないことから、自分を否定的に考えるようになってしまった結果のような気もします。)

二人の人間が違う意見を主張し、二人とも正しいということはありうるだろうか。理論的にはありえないが、心理的にはありえる。そしてそれは現実にはよくあることなのである。

(スティーブン・R・コヴィー『7つの習慣』より)

むしろ、お互いの意見が違うからこそ、相手に興味を持ち、相手もあなたと話してみたいと思うのです。

そして、相手と自分の違いを尊重することは、自分の視野が広くなるだけでなく、自分自身を認めるということにもつながります。

『動物学校』 他人を認めること、自分を認めることの大切さ

『7つの習慣』の中で、教育学者R・H・リーブス博士の著した『動物学校』というおとぎ話が紹介されています。

昔々、動物たちは「新しい世界」のさまざまな問題を解決するために、 何か勇敢なことをしなければならないと考え、学校をつくりました。

学校では、かけっこ、木登り、水泳、飛行を教えることになりました。

学校の運営を円滑にするために、どの動物も全部の科目を学ことになりました。

アヒルは、水泳の成績は抜群で、先生よりも上手に泳げるくらいでした。

飛ぶこともまずまずの成績でしたが、かけっこは苦手です。

かけっこの成績が悪いので、放課後もかけっこの練習をしなければなりませんでした。

水泳の授業中もかけっこの練習をさせられました。

そうしているうちに、水かきがすり減ってきて、水泳の成績が平均点まで下がってしまいました。

学校では平均点ならば問題ないので、アヒルの水泳の成績が落ちたことは、アヒル本人以外は、誰も気にかけませんでした。

ウサギは、かけっこはクラスでクラスでトップでした。

ところが水泳が苦手で居残りさせられているうちに、すっかり神経がまいってしまいました。

リスは木登りの成績が優秀だったのですが、飛行の授業で、木の上からではなく地上から飛べと先生に言われて、ストレスがたまってしまいました。

練習のしすぎでヘトヘトになり、肉離れを起こし、木登りの成績はCになり、かけっこもDに落ちたのです。

ワシは問題児で、厳しく指導しなければなりませんでした。

木登りの授業では、どの動物よりも早く上まで行けるのですが、決められた登り方ではなく、自分のやり方で登ってしまうのです。

学年末には、泳ぎが得意で、かけっこ、木登り、飛行もそこそこという少々風変わりなウナギが一番高い平均点をとり、卒業生総代に選ばれました。

学校側が穴掘りを授業に採用しなかったので、プレーリードッグたちは登校拒否になり、その親たちは税金を納めようとしませんでした。

プレーリードッグの親は子どもに穴掘りを教えてくれるようアナグマに頼み、その後、タヌキたちと一緒に私立学校を設立して、成功を収めました。

学校という閉じた世界では、その評価基準に自分が合わないと”自分が間違っていると思い込んでしまう”ようなことがあるかもしれません。

でも”神経がまいってしまったり”しても自分を否定したり”自分の水かきを擦り減らす”ようなことはしないでください。

外に、そのままのあなたを理解してくれる世界がいくらでもあります。

みんなちがって みんないい。

今日は引用ばかりです。

みんなちがって みんないい。

みなさんも、たぶん、どこかで聞いたことがあるかもしれません。

この言葉は金子 みすゞさんの詩「わたしと小鳥とすずと」の一節です。

金子 みすゞ(かねこ みすず)

金子 みすゞは、大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した日本の童謡詩人。本名、金子 テル(かねこ テル)。

大正末期から昭和初期にかけて、26歳で死去するまでに500余編もの詩を綴ったとされる。1923年(大正12年)9月に『童話』『婦人倶楽部』『婦人画報』『金の星』の4誌に一斉に詩が掲載され、西條八十からは「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛された。(Wikipediaより)

金子 みすゞさんの「わたしと小鳥とすずと」は次のような詩です。

私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥は私のやうに、
地面を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のやうに
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。

(金子みすゞ『わたしと小鳥とすずと』)

私たちは、一人ひとりが、それぞれ違っていて、でもそれには優劣なんてなくて、それぞれが素晴らしい、かけがえのない存在なのです。

あなたの世界があることを知り、尊重し、理解したいと思うこと

私にはどうしてもあなたと同じようには見えないかもしれない。

しかし私は、この世界があなたの目には違う世界に映っていることはわかる。

私はあなたのその見方を尊重する。

そして私は、あなたの見方、あなたの世界を理解したいと思う。

自分らしくあろうとするなら、勇気を持って他人との違いを認め、自分自身を認めなければならないのかもしれません。

 

自分が、相手を理解しようとすれば、自分が”傷つきたくない””自分を守ろう”として使っていたネガティブなエネルギーも弱まっていく。

ネガティブな抑止力が少なくなれば、その分、前に進むことができるようになると思います。

すぐに自分のことばかりになってしまう、私のための忘備録として。

そうこうするうちに、午後になって、息子の友だちが4人に増えていました。

そのコミュ力を見習いたいです。

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