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思考は現実化する

自分の潜在意識を書き換えるために、自分が学んだ事を整理しまとめています。

「自己肯定感」と「劣等感」「劣等性」そして「劣等コンプレックス」

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風邪を引いてしまいました。

体調が悪いときは、ついネガティブな思考に囚われてしまいがちです。

今日は、そんな思いの赴くままに、「自己肯定感」と「劣等感」「劣等性」そして「劣等コンプレックス」について書いていこうと思います。

「自己肯定感」と「劣等感」

 私は、昔から自己肯定感がとても低いです。

どうしてそうなのか、いつからそうなのか、正直わかりませんが、物心つく頃から自分に自信がなく、あまり積極的になれなかったり、反動で無理に積極的に行動して、自己嫌悪に陥ることが多かったです。

 

そんな私は、友達を作るのもとてもへたくそでした。

何しろ自信を持って「私とあいつは友達」なんてことは言えませんでした。

クラスメイトと3人で一緒に宿題をやろうということになった時も、家の前まで行ったにも関わらず、声を掛けれず、中に入れず、そのまま引き返し、翌日

「なんで昨日こなかったの?」

ととがめられる始末。

こんな私ですから、学校の調査アンケートで、自分の友達を記入する時も、鉛筆が少しも進みません。

ある時は、積極的な友達の一人が「ぼくはお前を書くね」といってくれて、安心してなんとかその子の名前を書いたのですが、その後、別の友人から

「おれの名前は書いてないの?」

といわれ気まずい思いもしました。

 

今日、こんなことを思ったのは、風邪のせいだけでなく、この記事を読んだからかもしれません。

この記事では

私は自己紹介をする上で、親しい関係を築きあげることができた他人、所謂友人というものがいないという話をする。 

 といっていました。

こうやって自己紹介ができるのは、一面ではそういう自分自身を許容し折り合いをつけられているのかな、と思いつつ、振り返って「私はどうかな?」と改めて自分に問いかけてみました。

「劣等感」と「劣等性」とは?

前置きが長くなってしまいました。

改めて「劣等感」について考えてみます。

 

「劣等感」という言葉を現在語られているような文脈で使ったのは、アドラーが最初だとされているそうです。*1

 アドラーの使ったドイツ語では、劣等感は

「Minderwertigkeitsgefühl」

というそうです。

これは

「より少ない(Minder)」「価値(Wert)」「感覚(Gefühl)」

という意味で

”自分の価値が(他と比べ)より少ない感じると感覚”

ということのようです。

「劣等感」は自分の「主観的な解釈」

それに対し「劣等性」は自分の主体的な解釈ではなく、他者との比較による「客観的な事実」からのものです。

 

例えば「背が低い」「はげている」といったことでしょうか。

しかし、自分が「劣等性」と考えて「劣等感」を感じていることも、他人からは「たいした問題ではない(劣等性ではない)」と思われていることも多々あります。

 

結局、「劣等感」は、自分が「自分を他者と比較して劣っている」と自分の主観で解釈していることが要因なので、自分の見方を変え、解釈を変えることで払拭できる、ということのようです。

(理屈はそうでも実際にそのように解釈できるかは、また別の問題ですが)

「劣等感」と「劣等コンプレックス」

「劣等感」は他者との比較から発生するため、宇宙のかなたで一人で暮らしているのでもなければ、どんな人でも、誰にでもあるものです。

(逆に、もし、本当に自分には劣等感がまったくない、という人がいたらそれはそれでどうかという気もします)

 

むしろ、劣等感があるからこそ、それを克服したい、という作用から向上心につながると考えれば、適度な劣等感は「努力と成長のための刺激」として自身の成長の促進剤となることすらあります。

 

 逆に劣等感を理由・言い訳にして

「どうせ自分なんて」

「どうせがんばったところで」

と諦めてしまうようなこともあります。

このような状態は、実は「劣等感」ではなく「劣等コンプレックス」という別のものなのです。

日本語では「劣等感」のことを「コンプレックス」と言い換えて表現することもおおいですが、英語では

「劣等感」inferiority feeling

「劣等コンプレックス」 inferiority complex

というように使い分けられています。

先程、劣等感は自分の「主観的な解釈」とお伝えしましたが、それに対し

「劣等コンプレックス」は自分の劣等感を言い訳に使い始めた状態のこと

を指します。

「だから」を「そして」に変えてみる

劣等感を言い訳に、つい「Aだから、Bできない」ということ考え、言ってしまいがちです。

例えば「ハゲだから、モテない」「かわいくないから、モテない」など。

しかし、本当にそうなのでしょうか?

実は、自分がそう思って、ある意味安心したいだけで、本当はAはBの原因ではなかったりします。

そんな時はAとBを「だから」ではなく「そして」でつないでみましょう。

「私はハゲだからモテない」

「私はハゲそしてモテない」

こうすると、モテないのは、ハゲが主要因ではなく、単に魅力がないだけという悲しい現実に直面することになってしまいます。

もちろんハゲが魅力のマイナスに作用していることはあるかもしれませんが、一方で、世の中にはハゲでもカッコよくてモテる人もたくさんいます。

 

こころは痛がり屋なので、劣等感を盾に、今を享受し、なかなか一歩前に踏み出せない。

踏み出すのは怖いものです。多少の不自由や不満も、受け入れてしまえば、いまのままでいた方が楽なこともあります。

それも”いいかな”と思う反面、もう少し”何とかしたい”と思うことも。

そんな時も

「劣等感」は自分の「主観的な解釈」「自分がそう思っているだけなんだよ」

と自分に教えてあげられれば、今より、少しは楽に生きられるかもしれません。

 

すぐ忘れてしまう、私のための忘備録として。

でも、今日、こんな文章を書いているのは、熱のせいかもしれない。

*1:アルフレッド・アドラー(Alfred Adler、ドイツ語発音: [alfreːt aːdlɐ](アルフレート・アードラー)、1870年2月7日 - 1937年5月28日)は、オーストリア出身の精神科医、心理学者、社会理論家。ジークムント・フロイトおよびカール・グスタフ・ユングと並んで現代のパーソナリティ理論や心理療法を確立した1人。

初期の頃のフロイトとの関わりについて誤解があるが、アドラーはフロイトの共同研究者であり、1911年にはフロイトのグループとは完全に決別し、個人心理学(アドラー心理学)を創始した。(Wikipediaより)