思考は現実化する

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思考は現実化する

自分の潜在意識を書き換えるために、自分が学んだ事を整理しまとめています。

父と息子2〈過去に向き合う〉

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この記事は前回の父との確執についての続きです。

前回、整理しきれなかった部分について、今一度、過去の自分に向き合って、私が何に囚われているのかを考えていきたいと思います。

 

(今日は、重苦しい内容になってしまいました。イヤな気分にさせてしまうかもしれません。そういうのが苦手な方は、ここから先には進まないようにお願いいたします。)

 

昔話「私と父」

以前、母にいわれたことがあります。

「私と父は、昔から折り合いが悪かった。」と。

 

私には、父にほめられたという記憶がありません。

(今、一所懸命思い返しているのですが、父の私への言葉の記憶は「否定」で占められているような気がします。)

誰かが私のことをほめてくれることがあっても、即座にそれを否定し「ぜんぜんダメだから」という人でした。(謙遜だったと思いますが、それでも私はそのたびに少し落ち込みました)

 

幼少時代の私の家族は、父、母、私、2歳下の弟の4人家族でした。

 

ものごころつく頃から、私はずっと自分と弟に対する父の接し方に「ちがいがある」と感じていました。

それは1つ1つはとても些細なことです。

 

小学校1年の時、学校に朝顔を植える鉢植えに入れる土を持って行くことがありました。父に話すと「そこら辺の土を持って行け」といわれたので、私はよくわからず粘土質の赤土を持っていきました。

 

2年後、弟が同じく学校に土を持って行く際、父は畑から肥沃な土を持ってきて肥料を調合して持たせていました。

 

弟と二人、庭で遊んでいたとき。テーブルを二人で移動した際に、父が作ったフェンスに机を寄りかけてしまいフェンスが曲がってしまったことがありました。その時は、理由も聞かれず私だけいきなり頬を叩かれました。

 

4年生の時、ポスターコンクールで賞を取ったとき。父に見せた賞状はそのまま丸めて筒の中にしまわれました。

 

翌年、弟が何かの賞をもらった時、父はすぐに額縁を買ってきて、その賞状を額に入れ居間に飾りました。(今でも旧宅の居間にその額が飾ってあります。)

 

夏休みになると、父は弟の工作をいつも手伝っていました。(私は父と一緒に工作したことは一度もありませんでした。)

 

ある年、弟の誕生日に、弟の見たがっていた飛行機を見に空港に出かけ、その夜は家でケーキを食べました。

 

その年の、私の誕生日、夜、ローソクのささったあんぱんでお祝いしてもらいました。(それでも、祝ってもらえたことがとてもうれしかった。)

 

小学校の頃、地域の子ども会のチームで毎年ソフトボール大会に参加していました。

6年生の時は、父がチームの監督をしていました。(子ども会の役は親が持ち回りで行うのです。)

以前にも書きましたが、私は筋金入りの運動音痴でしたので、6年生といえど補欠でした。それでも、通常、1回くらいは代打などで試合に出してもらえるものです。

しかし、その最後の夏の大会で、私の出番は最後までありませんでした。

そして、その年のチームでは、弟がピッチャーをやっていました。

(運動能力的には、弟は私よりは神に(そして父にも)愛されていたと思います)

 

小学生の頃、何度か家出をしたことがあります。今となってはどんな理由だったか思い出せません。忘れるくらいだから些細な切っ掛けだったと思います。

家出をすれば、両親が(父も)探してくれます。

たぶん、探してもらいたくて、という理由が一番だったと思います。

 

私は、父に愛されている、という実感が欲しかったのだと思います。

 

そんな私が、小学生の時に、父にしてもらって一番うれしかったのは、家族で出かけて疲れて車の中で眠ってしまったとき、眠った私を起こさず抱きあげ家まで運んでくれたこと。私が覚えている中で唯一の父に抱きあげられている記憶です。

 

中学1年のとき、もうよく覚えていないようなささいな理由で口論になりました。

当時、私たちの中学校では「希望ノート」という自主学習ノートを渡され、そのノートに毎日、課題をやって提出していました。

その日、私はその「希望ノート」にその日あったことを6ページに渡って書きました。当時の担任の先生なら理解してくれるのではと考えたのですが、次の日、担任からは課題をやっていないことの叱責があっただけでした。

担任は、クラスメイトにとても慕われている先生でしたが、それ以後、私はその”山本五十六”みたいな名前の先生を心の底から信頼することはしませんでした。

 

高校生の頃になると、以前よりは父との諍いは減りました。それは、私が父と極力接触しないようにしていたからです。

高校2年の頃は、520円という時給で月に5~6万くらい稼ぐくらいバイトに明け暮れました。父が出かけてから部屋を出て、父が寝てから帰宅するという生活で、半年くらい父に顔を合わさないように慎重に過ごしました。

もともと大して良くもなかった成績は急降下しました。

 

ある夜、父と顔を合わし、諍いになりました。理由は憶えていないので些細なことだったと思います。

でも、その時、私の首を絞める父に私が言った言葉だけは今でもはっきり覚えています。

「ぼくを愛していないじゃないか!?」

どういう経緯だったのか、どうして首を絞められてたのかは憶えていませんが、言葉だけは覚えています。

(我ながらよくこんな恥ずかしいセリフをいえたものです)

その時は(というかその時も)母が止めて、結局うやむやになったと思います。

 

それ以後、私は、極力、父と接しないように神経を使って過ごしました。

その頃から、私は、父とわかりあうことを諦め、お互いを刺激し合わない距離感をとることを第一に考えていました。

就職が決まるとすぐに家を出て、それ以後は、結婚して子どもが生まれるまでは、何かと理由を設けてほとんど実家にはいきませんでした。

 

こんな事ばかり書いていますが、父は小学生の頃は毎年1回は家族旅行に行ったり、休日には、家族で海や山や公園に出かけることもたくさんありました。

(でも、今思い返しても、その時、父とどんなことがあったのかは、まったく思い出せません。)

 

また、こんな私でも、ちゃんと大学まで出してくれています。

私がマンションを買うと決めた時も「相続時精算課税制度」を利用して資金援助もしてくれてもいます。

そういう面ではとても感謝しています。

 

結婚して、子どもができて、私は過去を克服したと思っていました

実家を出るまでは、顔を合わせば口論ばかりの父と私ですが、結婚して子どもができてからは、お互い以前よりはやわらかい関係になれたと思っていました。

 

父は、私の息子もかわいがってくれているように見えました。

 

その様子をみて、私は、私自身が父に愛されているように錯覚していたのかもしれません。

もちろん、私が父にまったく愛されていないなんてことはありません。前述の通り大学まで行かせてくれ、まったく家に寄り付かなかった息子なのに住宅の購入も支援してくれました。

 

以前、一度、父にいわれたことがあります。

「うちの前の土地を買って、ここに家を建てるか?」

その時は真剣に取り合いませんでしたが、もしかしたら父は結構、本気だったのかもしれません。

実際、弟は「うちの前の土地」でこそありませんが、近くに土地を買ってもらい家を建てています。(田舎のため、昔から住んでいる人の方が安く土地が買えるという嘘みたいな事情もあったようです)

 

実家に息子を連れていくようになってからは、以前ほど父の言葉に対し、ネガティブに反応することが減りました。ある程度は「まあ、そうだね」と受け流すことができていました。

それは、私自身が父親になったことで、父としての気持ちも多少は理解できるようになったからかもしれません。

もしかしたら、これまでは、妻の手前、父もそれ程ストレートに辛辣なことを言ってなかっただけだったのかもしれません。

 

いろいろあり、私は、妻と別居することを選択しました。

 

そのことで、父の言葉のタガが外れてしまい、前回

「おまえのしつけが悪いぞ」

という言葉になってしまったのかもしれません。

(さすがの父も、妻の手前でそんなことはいえなかったと思いますが、もしかしたら以前から思うところはあったように思います)

 

そんな父の思いなどつゆ知らず、私は、父と息子の様子をみて(子どもの頃に感じられなかった父からの愛を)私自身が父に愛されているように錯覚していたのだと思います。

 

私はやっと父に認められた、私の過去は清算されたんだと思っていました。

 

だからこそ、私は

「おまえのしつけが悪いぞ」

という言葉に、あんなに動揺してしまったのだと思います。

 

結婚して、子どもができても、私は過去を克服などできていなかったのです。

    


 

過去に向き合う

ここまで、思った以上に長く、また時間も遅くなってしまいました。

本当は以下の記事を参考に


「その過去は真実ではない」と気づく。

過去に支配されない生き方

 

というように気持ちをまとめるところまで書こうと思ったのですが、続きは別の機会に整理してみようと思います。

 

トラウマは存在しない。 

いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。

われわれは自分の経験によるショック―――いわゆるトラウマ―――に苦しむのではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。

自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである。(アルフレッド・アドラー*1

 

今、こうして考えることにきっと何かしらの意味があるとすれば「今まで見えないふりをしてきた、目を背けてきた自己に向き合うこと」だと思います。

 

このような機会に巡り合えたことに感謝いたします。

そして、このような記事を、今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

*1:アルフレッド・アドラー(Alfred Adler、ドイツ語発音: [alfreːt aːdlɐ](アルフレート・アードラー)、1870年2月7日 - 1937年5月28日)は、オーストリア出身の精神科医、心理学者、社会理論家。ジークムント・フロイトおよびカール・グスタフ・ユングと並んで現代のパーソナリティ理論や心理療法を確立した1人。

オーブンでブリの塩焼き/ねぎまを焼いてみました

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以前、豚のかたまり肉をドーンと焼く!(肩ロース・モモ・バラ):メモ - にーちの趣味ぶろという記事を読んでからというもの、何でもとりあえずオーブンで焼けないかな?と試みるようになった私。

今日は「ブリの塩焼き」と「ねぎま」をオーブンで焼いてみました。

オーブンで「ブリの塩焼き」を焼いてみました

とても美味しそうなブリが売っていたので「ブリの塩焼き」に挑戦。「照り焼き」とどちらにしようか迷いましたが、肉厚で鮮度も良さそうだったので今回は塩焼きにしてみました。

今回の食材 

ブリの切り身 2切れ

塩 少々、酒 少々

下ごしらえ

ブリの切り身の両面に塩を振って、さらにお酒を振って下ごしらえ。15分ほどおいた後、オーブン皿にアルミホイルをしいて、ブリの切り身を並べます。

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 オーブンで調理

今回は200℃で余熱した後、200℃で10分焼いてみました。焼き上がりはこんな感じです。

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完成!

今回は片側だけで焼き上げましたが、焼き時間7分くらいで1度ひっくり返しても良かったかなと思いました。

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ブリの塩焼きや照り焼きは、魚焼きグリルを洗うのがめんどくさくてフライパンで焼いたりもしていました。フライパンの場合は油を引かなければならなかったのですが、オーブンであればその必要もなく、魚焼きグリルに比べてふんわりした焼き上がりでした。

おいしくないと箸の進まないうちの息子がペロッと食べたので、上手くできたと思います。

 

オーブンで「ねぎま」を焼いてみました

続いて「ねぎま」です。こちらも普段は魚焼きグリルで焼いていました。

オーブンでの焼き上がりはどうなるでしょう?

今回の食材

今回は普通にスーパーで売っていた豚バラ肉の「ねぎま」です。

竹串の根元の方はアルミホイルで軽く覆いました。

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オーブンで調理

今回は250℃で余熱した後、250℃で20分焼いてみました。

完成!

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予想以上に脂が出ました。オーブンで焼く場合はオーブン用の網を用意した方がよさそうです。

ただ「ねぎま大好き」のうちの息子には、こちらも好評でした。

 

私にとって「オーブンで焼く」調理法は、ちゃんと下ごしらえしてセットさえすれば、まず失敗することがないのでとても重宝しています。

(材料のセレクトで失敗することもありましたが)

他のことを行って忘れていてもちゃんと調理が終わっているのもとてもありがたいです。

 

今度はまたちがうもので試してみたいと思います。(ピーマンの肉詰めとか良さそうな気がします)

 

2017/4/20追記

こちらの記事でnych (id:nych87)さんに言及いただきました。ありがとうございます。

やはり「オーブン用の網」がああると「ねぎま」の焼き上がりがまったくちがいますね。(本当にびっくりするほど脂がでるんです)

父と息子〈親子関係について〉

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 昨日、もう本当に何年ぶりかわからないくらい久しぶりに父と確執が生まれてしまった話。気持ちを整理するために、文章にしてまとめてみます。

実家に息子を連れて行く

子どもの春休みになかなか予定を取れず実家につれていけなったので、昨日、久しぶり(お正月以来)に息子をつれて実家へ行きました。

私は、もともとそれ程、実家には顔を出さない方でした。

実家は車で1時間半ほど、高速道路を使えば1時間くらいで着く距離です。それでも、社会人になってから結婚するまでは、何かと理由を設けて実家にはいきませんでした。(実際、その頃、私は盆も正月も仕事に明け暮れていたのですが)

 

それでも、結婚してからは(そして妻と別居してからも)実家に以前よりは顔を出すようになりました。

それは

子どもの顔を見てよろこんでくれる両親

を見て、自分も両親に認められたようなうれしさがあったからかもしれません。

 

うちの子は、少し意地っ張りなところもありますが、性根はとても優しく、周りの人をやさしい気持ちにさせるところがあると思います。

学校でも、男の子、女の子分け隔てなく仲良く話せたりします。

 

対して、うちの父は、少しいじわるな感じのコミュニケーションをする人です。子どもの嫌がることをワザといったりするようなところのある人です。

 

そんな父の言葉をマイペースにスルーしながらも「おじいちゃん」と声をかけるわが子。(残念ながら幼少時代の私は、父の言葉をスルーできず、すべて受け止めて、自分で心を傷つけ、そして反発していました。)

少し、ハラハラしながらも、二人はそれなりに上手くいっているように見えていました。

 

そんな二人の様子に、私は、幼少期にあまり感じ取ることのできなかった、父からの親愛を見ていたのかもしれません。

 

しかし、昨日、父のあるひとことで、私は私のその気持ちを自ら壊してしまいました。

 

おまえのしつけが悪いぞ

いつも実家に行くと、たいてい一緒に食事に出かけ、その後、買い物に行くのがだいたいお決まりのコースです。

私の母はとても甘い人なので、孫にいつも「何が欲しい」と聞いてきます。

 

私は、幼少時、こうやって「何か欲しい」といわれることがあっても、常に遠慮して本当に欲しいものを欲しいということができない子どもでした。それは、大人になっても変わらず「遠慮」という体裁のいい言葉で自分の気持ちを偽ってきました。

 

以前は、自分の子どもにも「少しは遠慮しようかな」ということをいっていました。ですが、ある時からなるべくそういうことをいわないように心がけるようにしました。

 

自分の制限思考を子どもにまで押し付けてはいけない。

 

それからは、どうしても気になったり、「遠慮」を口にはさみそうになる時は、その場から離れるようにしました。

母そして父には、子どもに良くしてもらった分以上に、感謝すれば良いと考えるようにしました。

 

対して、父はとても堅実な人でした。無駄遣いを看過できない人でした。

以前、母が、若い頃はそのことを疎ましく思ったこともあったが、今こうして不安なく暮らせることを考えるとよかった、といっていたのが印象的でした。

一方で、母は「ガチャガチャとかやってみたくなるけど、お父さんが嫌がるから」というようなこともいっていました。

私は、その時、そんな母に「その気持ちは、私も少しわかるかも」と答えました。そういうところの考え方は私は父に似ているのだと思います。

 

そんな母ですから、私の子どもに「何か欲しい」といって、何かを買ってあげたり、ガチャガチャをやらせたりするのは、もしかしたら自分の代償的な気持ちがあるのかもしれないと思ったりもします。

 

 昨日も、息子はスーパーでおばあちゃんのいわれるままに、いろんなものをカゴに入れていました。

ヤクルト

さけるチーズ

キャンディーチーズ

 ベビーチーズ

ローストビーフ

りんご

たまに、私の顔を見て「いい?」と聞く当たりに、普段、いかに私が彼にそれらを「ダメ」といっているかが伺えます。

 

父ははじめ「煙草を吸って待っている」といって買い物にはいませんでした。

しかし、りんごをカゴにいれた頃に、ふっと現れひとこと

 

「まあ、ぎゅーっとつねってやればいいんだ。

 そんな風にして行儀のわるいのは、ひっぱたいて

 いうことを聞かせればいい。」

 

一瞬、何をいわれたのか理解できませんでしたが、すぐに、息子が買い物で欲しいものを探す際に、興味のある商品に触れていることだと気づきました。

その時、私は、息子と母の楽しそうな様子をみて、そこまで気が回りませんでした。

 

しかし、それでも、いきなり叩いたりするのはどうかと思い、子どもに「そんな風に触さわったらだめだよ」といいつつも、笑顔で父に「すみません、気を付け・・・」といいかけ

 

「おまえのしつけが悪いぞ」

 

私は、まじまじと父の顔を見ました。

他にも、何かいっていたような気がしましたが、私は頭が真っ白になってしまい、それ以上聞き取ることができませんでした。

 

「わかりました。ありがとうございます。」

 

そういうと、私は息子を連れ、急いでレジに向かっていました。

支払うという母を丁重に断って、自分でレジを済ませてしまいます。

4,364円

2人の1か月の食費がだいたい3万円くらいのわが家にとっては結構いたい金額ですが、これが意地を張った代償です。

 

「これでよかったんだ!」

両親を実家へ送り届けたあと、子どもにこれからどうしようかたずねてみました。

天気はあいにくの雨でしたが、その日は、カーシェアで車を21時まで借りていたので、まだ返却までにかなり時間があったのです。

 

「近くの公園の桜がきれいという話だから、見に行ってみようか?」

そういうと「行こう!行こう!」と明るい返事。

やさしい息子は、いろいろ察してくれている感じでした。

また、息子に気を使わせてしまいました。

 

公園に着く頃には、一旦、雨はやんでいました。

いつもなら遊具で遊ぶ息子ですが、この日はどの遊具もびっしょりぬれていたためさすがに諦めると、すぐに切りかえ、濡れた芝生の先の少し小高くなっている場所に走っていきます。

 

その後、二人で満開の桜の下を歩きます。雨さえ降らなければ、たくさんの人で賑わっていたでしょうか、その時は私たち二人だけでした。

 

「こんなきれいな桜をゆっくり見られてラッキーだね!」

 

(ああ、今日のラッキー勝負は息子の圧勝だ)

そんなことを思いながら、桜並木を歩きます。

 

「そういえば、このソメイヨシノは人工の交配で作られたクローン植物で、1代限りで子どもはできないんだよ」

「へー、そうなんだ」

 

そんなことを話しながら車に戻ります。

その後、以前から行ってみたかった、近くの学問の神様を祭っている神社へ向かいます。

そこは、私がまだ小学生の頃、数回、家族で初詣に行ったことがある神社です。しかし、その後、終ぞ行くことがなく、以前から実家に帰るたびに行きたいといっていた場所でした。

そして、幸い?なことに、昨日はまだ時間がありました。

 

「手水舎(てみずや)」で手と口をすすぎ、境内に着くと所々にQRコードがあります。「ああ、これはQRコードでアクセスすると解説が見られるんだね」と、一旦、車にスマホを取りに戻ります。

その後、二人で順番に確認していきます。

 

額を撫でると勉学にご利益があり、からだを撫でると病を癒すという「願掛け撫で牛」

 

手を合わせて願い事を一心に唱えたあとお地蔵さんを抱きあげ、願いが叶うなら軽々と持ち上がる、叶わなければ重くなるという「重軽地蔵」

 

書道や学問、芸術の上達を祈る「筆塚」

 

石を一つ持ち帰り、毎日「いぼいぼ消えろ いぼいぼ無くなれ」と一心に唱えるとイボを取るご利益があると云われる「霊石いぼとり石」

 

平安の昔から続くお百度参りの石標「百度石」

 

など、1つ1つ説明を読んで試したり、いろんな人の絵馬を見たり。

子どもが楽しそうに感心しているのを見たり、二人でいろいろ話しているうちに少し心が軽くなった気がします。

 

最後に、2人でおみくじを引きました。

私は「大吉」。息子は「中吉」。

(大吉を引くのは本当に何年振りだろうか?)と考える横で「いいな、〇〇ちゃんも大吉が良かったな」という息子に「でも〇〇ちゃんも、すごくいいことが書いてあるよ!」というと

「ほんとだ!二人ともラッキーだね!」

とうれしそう。

 

(その笑顔を見られただけで、私は本当にラッキーだよ)

そう思いながら、いろいろあったけれど、今日はこれでよかったんだ、と思うことにしました。

 

「これでよかったんだ!」

は、いつも素敵な言葉に励まされるサンタんぼ (id:santambo) さんの、この記事を読んで思い出しました。

 

 

もしかしたら、使い方が間違っているかもしれないけれど、今は「これでよかったんだ!」と思って前に進んで行こう。

 

長くなってしまったので、父とのことはまた別の機会に整理してみようと思います。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

そして、わが家の心優しい息子、いつも本当にありがとう。

こんなやさしい息子との心安らぐ日々をくれて、神様、本当にありがとうございます。

今はもういないあたしへ…

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今回は「今はもういないあたしへ…」なんて意味深なタイトルですが、これは新井素子さんの小説のタイトルです。(もしかしたらピンときた方もいらっしゃるかもしれません)

新井素子さんといえば、SF設定のサイコホラーな作品で、子どものころの私に数々のトラウマ的な恐怖を植え付けた印象があるのですが、この小説もその一つです。

今日は、この「今はもういないあたしへ…」をご紹介しようと思います。

(たぶんネタバレしないで上手く説明することはできないので、ネタバレしたくない方はここから先には読み進めないでください。あと、少し後味の悪いお話なので暗い気分になりたくない方もここでストップしてください。) 

パーマン1号が歯医者へ行くお話

 とりあえず、いきなりネタバレするのもあれなので、まず、似たようなシチュエーションのお話をご紹介したいと思います。

「パーマン」といえば、藤子・F・不二雄先生のマンガ・アニメです。あまりご存知のない方のために簡単にご紹介すると

冴えない小学生須羽ミツ夫がある日、宇宙人からもらったパーマンセット(マスク、マント、バッジ)を装着すると怪力や空を飛ぶ能力などを授かり、その力を生かして正義のヒーローになるという物語である。超人であるという秘密を持つ少年の葛藤、その矛盾に立ち向かう強さ、本当の正義とは何かを、独特の藤子ギャグで描く、藤子Fの代表作の1つ。(Wikipediaより)

 という感じで、小学生が正体を隠してスーパーマンのように町の平和を守るお話です。

この正体を隠す際に、鼻を押すと押した人そっくりに姿を変える「コピーロボット」を使って、自分の留守のアリバイをさせるのですが、このコピー機能が優秀で、コピーロボットの記憶は、元に戻る前に本人とおでこをくっつけることで本人に引き継ぐことが可能だったりするのです。

 

すごいですね!知識の蓄積が2倍に。コピーロボットを使って勉強すれば、すごいことになりそうです。

しかし、今回ご紹介するのは、コピーロボットの間違った使い方のエピソードです。

 

ある時、主人公のミツ夫少年が虫歯になってしまいました。

すぐに歯医者さんに行けばよいのですが、怖くてなかなか行くことができません。

そこで、コピーロボットに行かせることを考えつきます。

とはいえ、コピーロボットもミツ夫の記憶を持ったコピーのため、歯医者は同じように怖いもの。

いやいやながら、歯医者さんに行くも、治療を前にして大暴れ。

先生や歯科助手にとても迷惑をかけてしまい、もう来るな!といわれながらもながらも、なんとか治療を終えます。

 

パーマンとして事件を解決し戻ったミツ夫は、コピーロボットから歯を治療した記憶を引き継ぎます。

しかし、当然ですが、虫歯は治っていません。

ミツ夫は仕方なく、歯医者に向かいます。

しかし、入り口で

「あなたの虫歯はもうちゃんと治療しました!」

といわれ歯医者から追い出されてしまいました。

 

「コピーロボットのミツ夫」が暴れてしまったこともあり、感情的な面からも再診料を拒否されてしまったミツ夫くんのお話です。

歯医者さんであれば、他の歯医者さんに行けばいいのですが・・・。

今はもういないあたしへ…

次は、いよいよ「今はもういないあたしへ…」の紹介です。

まずは簡単なあらすじ紹介です。

交通事故で瀕死の重傷を負った少女は、半年の昏睡から目覚めた。身体に傷は残っていないにもかかわらず、事故の後遺症か、彼女は外界に対する現実感を喪失したまま悪夢に悩まされつづける。そして次第に明らかになっていく恐るべき事実…(「BOOK」データベースより)

ここから先は「ネタバレ」します。(うろおぼえなので、正確さには欠けます)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

物語の冒頭、交通事故にあって意識を失った「あたし」が、死後の世界と思わしき葦の河原でたたずんでいると、橋のたもとに、昔、亡くなった祖母が迎えにやってきます。

祖母に背負われ、橋を渡っていくと、途中で、後ろからものすごい力で髪を引っ張られます。

離れまいと懸命な祖母を振り切って、どんどん引き戻されていく「あたし」。

どんどん引き離されていく中で、祖母が「あたし」にそっくりな別の誰かを背負って川の向こうに行くのが見えて・・・。

 

気がつくと「あたし」は病院のベッドで目覚めます。

両親や婚約者に聞くと、事故から半年もの間、眠っていたとの事。

記憶では、大変な交通事故にあったはずなのに、体に大きな外傷などもありません。

 

しかし、生活をしていても、違和感はぬぐえません。

また、また毎晩、夢を見るようになりました。

それは、頭を切られて脳を摘出される夢や、計器類がならぶ部屋を見ている夢など。とても夢とは思えない「記憶」というべきリアルなものでした。

 

「あたしはあたしじゃないかもしれない。あたしは誰なのだろう。」

 

思い悩んだ末に、ついに「自分はクローン人間である」という結論を導く「あたし」。

クローン培養された体に、今までの自分の脳が移植された。そして、そのために、クローンが一人死んだ事を認識します。

婚約者はそんな彼女に優しく接しますが、以前のように彼と接することができなくなる「わたし」。

 

ついに、病院の地下深くに侵入した「あたし」は、そこで何百体もの培養器に入ったクローン人間を目にします。

その場に居合わせた職員ともみあいになり、職員は倒れた拍子に培養器のひとつを壊してしまいます。 

培養器に入っていた少女が、土気色になって死亡してしまうのを目にして、 罪悪感と絶望に「あたし」はガラスの破片で自身を切りつけ、自殺してしまいます。

 

そして、場面は再びあの葦の河原。 

しかし、いくら待っても、祖母も誰も迎えにきてくれません。

 

歯医者さんであれば、他の歯医者さんに行けばいいのですが・・・。

子どもの頃、これを読んで以来、医療がいくら進歩しても自分のクローンで延命するのだけは絶対によそうと思いました。(そしていまだに思っています)

 

お迎えといえば、先日、こんな記事を読みました。


私も、誰かに「お迎え」され、安らかな穏やかな最後を迎えられるよう、今この瞬間を大切に、精一杯、後悔のない人生を過ごしたいと思います。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

今はもういないあたしへ… (ハヤカワ文庫JA)

今はもういないあたしへ… (ハヤカワ文庫JA)

 

 

「不幸の連鎖、男性の3人に1人「生涯未婚」時代」に思うこと〈中年未婚男性の死亡率は既婚者の2倍以上〉

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また、ショッキングなタイトルですが、2017年4月4日の日経ビジネスに「不幸の連鎖、男性の3人に1人「生涯未婚」時代」という記事が掲載されていました。


昨日、ロイターのコラムを読んで暗い気持ちになったところに追い打ちを掛けるような内容です。


実際、昨日の記事を書いた際も、脈絡なく話がどんどん暗くなってしまったので、この

日経ビジネスの記事もスルーしておけば良いような気もしました。ですが、たぶん、自分の不安な気持ちが刺激されたのでしょう。

自分の、将来の不安に向き合うためにも「不幸の連鎖、男性の3人に1人「生涯未婚」時代」を読んで思うことを書いてみようと思います。

独身男女の人生の一番の特徴は、ただただ早死にが避けられない

冒頭から、不安をあおる言葉のオンパレードです。

独身男女の人生の一番の特徴は、ただただ早死にが避けられない

本来死亡率が低いはずの45歳から64歳の未婚男性は同じ年齢層の既婚男性より2.0倍から2.4倍程度高くなる

 (同居する人がいない場合)肺炎による死亡リスクは45歳から64歳で独身男性が5.1倍、女性が5.9倍 

日本人男性の3人に1人、29%ほどが2030年には独身のまま一生を終える生涯未婚

独身高齢世帯は2030年には東京都だけで95万人、予備軍となる独身世帯は250万人、親元に暮らす独身男女を合わせるとおよそ340万人

親世代の死亡とともに相続や"年金パラサイト"で暮らせなくなった独身者が貧困問題を抱える  

絶望的に高いシングルマザーの貧困率

離婚や死別によって子供ごと貧困に陥る事例が事欠かない

2030年に向けて1,800万人の未婚男女が社会的に孤立、首都圏だけで500万人前後が独居老人に

こんなに不安をあおられて、私たちはどうすればよいのでしょう。

日本人の独身の理由は形を変えた貧困問題

未婚男女の結婚への意識について記事では

国立社会保障・人口問題研究所の「第15回出生動向基本調査」では、17歳から34歳の独身男女5,276人で「いずれ結婚するつもり」と回答したのは男性85.7%、女性89.3% 

基本的には多くの日本人は良い相手がいれば結婚したいという「希望は持っている」 

若いころから「一生結婚するつもりはない」と回答する割合はおおむね1割以下

 と書かれています。

その一方、

結婚できない理由上位を「結婚資金がないから」

経済的に貧困で稼ぎが悪く貯蓄も少ないので仕方なく独身でいるか、望むような相手を探しても見つからないので異性との交際もしないまま年を重ねて引き返しがつかなくなるケースが多い

とも書かれています。

それらを踏まえ、記事では未婚の問題を

日本人の独身の理由は形を変えた貧困問題

として捉えていました。

日本を脅かす「貧困」という問題

昨日の記事、「コラム:「絶望死」が増加する米国社会の暗い闇」を読んで思うこと - 思考は現実化するの中でも書きましたが、日本は今、格差による貧困という大きな社会問題に直面しているようです。

 

貧困問題が深刻なのは

一度陥ってしまうと、抜け出すのが困難

「貧困の連鎖」貧困が子世代に影響してしまう

ということがあると思います。

 

日経ビジネスの記事の中では、「自治体の行う婚活支援サービス」や「数十万円程度のお祝い金」といったことではなく、「政策レベルで結婚に踏み出せる支援策」の必要性を訴えています。

 

しかし、今現在、それらの問題に直面している人、まさに直面しようとしている人は、座してそれらの政策が実施されるのを待つわけにも行かないと思います。

 

だからこそ、自分の未来、自分の不安の要因をしっかりと自分で見据え、自分で理解して、それを払しょくするためにどうすればいいかを考え、行動すべきだと思います。

 

不安というのは、わからないから大きくなる、という面があると思います。

逆に、不安に向き合いその理由をしっかり把握することができれば、実は思っていた程大きな不安ではなかった、と思えることもあったりします。

 

他者と自分を比較して、あきらめてしまったり自己嫌悪に陥るくらいなら、昨日の自分より1歩でも2歩でも前進することを考えましょう!

先週よりも成長していれば、先月よりも前に進んでいるのなら、一歩一歩の歩みは小さくても、確実に良い方向へ進んでいけるのです。

他人と比較する必要なんてないんです。

 

大切なのは、昔の自分と比べて、成長できているかということ。

 

自分の道を照らす明かりは必ず自分の中にあります。

微かでも 見えなくても 命の火が揺れてる
風を知って 雨と出会って 僕を信じて燃えてる 

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今日も、何となく無理矢理まとめようとしているような気がします。

でも、それでいいのだと思うんです。

昨日、ブックマークでsolidka2yukiさんに素敵な言葉を教えてもらいました。

 

「プラスの言葉はプラスの人生を作り出す。」

 

つい、暗い気持ちに引き込まれそうになる、私への忘備録として。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

すべての出来事、すべての出会いに感謝いたします。

ありがとうございます。

意図を伝える 意図を理解する

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意図を理解する

普段、何かを行う際に、良く分からないけれどとりあえず「いわれた通り」にやるということはないでしょうか?

物事を行うに当たっては、その裏側にある「意図」を理解するとしないのでは、やりがいや成長に大きな違いがでると思います。

 

建物を作っている人に「あなたの仕事は何ですか?」と質問した際に

「私の仕事は、この石を積み上げることです」

と答える人と

「私の仕事はここに立派な聖堂を立てることです」

と答える人では、仕事への意欲や取り組み方が大きく異なると思います。

 

ひと昔前は、仕事は一から教えられるものではなく「師匠や先輩から盗め」ということをいわれていたと思います。

ただがむしゃらに「いわれたこと」をこなしていきながら、自分がやっていることにどんな意味があるのかを「自ら考え自分で答えを見つける」ことで、成長していったのだと思います。

 

ところが昨今では「仕事を盗め」というスタンスから「1からしっかり教えていく」というように変わってきているように感じます。もう「盗め」とか「失敗しながら学べ」という時代ではなくなってきているようです。

 

とはいえ、まだ「意図を伝えず」に「やる内容」だけを伝えられることが多いと思います。そんな際にも、その意図を理解するかしないかで、そこから得られるモノには大きな差ができてしまうと思います。

 

意図を考えることについては、以前、別のブログでも書いたことがあります。

物事には何かしらの意図がある 

 上司からの依頼や、家族や友人からの頼まれごとなど、人から指示やお願いされることには、必ず何かしら相手の意図・思惑があると思います。

しかし、意図があるのは、人からには限りません。

例えば仕事の提案書には、その制作者がクライアントにどのようなことをして欲しいのかという意図が込められています。

会社案内や商品パンフレットにも、それを制作した際には「どのように活用するのか」ということが考えられているはずです。

それらの「意図」を理解するとしないとでは、相手が求める成果の達成度合いも大きく変わってきます。

 

依頼する人の中には、意図を伝えるのがあまり上手くない方もいます。

「意図は自分で考え理解しろ」という時代に生きてきた諸先輩方には、そもそも意図を伝えるという習慣・考え方がないということもあると思います。

もし、そのような人からの依頼を「表面上の言葉だけ」を聞いて「いわれる通り」にやったりすると、相手からは「そうじゃない!」といわれてしまうこともあるかもしれません。

そんな時「いわれた通りにやったのに、なぜ!?」と理不尽に思うかもしれません。

ですが、それはあなたが相手の「意図」をくみ取ることができなかったからということなのです。

私がして欲しいのはそんなことじゃない

仕事だけでなく家庭においても「意図」を理解することはとても重要だと思います。

 

例えば、妻が夫に

「たまには洗い物くらい手伝って」

といったとします。

その言葉を受けて夫は、食器を洗いました。しかし妻は不満そうに

「もっとちゃんと洗ってくれないと、結局、私がやらないといけないじゃない」

夫としては、妻に「いわれた通りに」食器を洗ったのになぜ!?と憤懣やるかたない。

そして、ココロがすれ違っていく。

 

よくあるような話かと思います。

しかし、もしかしたら妻は

「たまには洗い物くらい手伝って」

とはいったものの、

実際は「手伝って欲しい」のではく、ちゃんと認めて欲しかったのかもしれません。

 

⇒もしそうなら、普段から「いつもありがとう。感謝している。愛してる。」といっていれば、「たまには洗い物くらい手伝って」なんていわれなかったのかもしれません。

 

もしかしたら、忙しすぎる中で「自分の時間が欲しかった」のかもしれません。

 

⇒もしそうなら、目の前の「洗い物を手伝う」ことではなく、もっと違う方法があったのかもしれません。

例えば、

「今度の週末はボクが子どもたちを見てるから、キミはゆっくりしておいで」

というように。

 

「意図を理解する」とは「相手のことを理解する」ということだと思います。

そのためには、相手の立場に、相手の気持ちになって話を聞くこと

「共感による傾聴」

が大切だと思います。

 

相手を理解しようという気持ちを前面にだせば、相手もあなたを信用し、コミュニケーションがより円滑になると思います。

 

こんな風に書きましたが、私自身は人の話を聞くのが本当にへたくそです。

そんな自分自身への戒めとして。

でも、いつか、もっと多くの人と共感し、わかりあえたら、それはとても素敵なことだと思います。

 

今日も、最後までお読みいただきありがとうございます。

「コラム:「絶望死」が増加する米国社会の暗い闇」を読んで思うこと

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2017年4月2日のロイターに「コラム:「絶望死」が増加する米国社会の暗い闇」というコラムが掲載されていました。

「絶望による死」

日本では長時間労働による「過労死」が問題になり、働き方改革・残業規制の流れが進んでいますが、このコラムによるとアメリカでは「絶望死」が増加しているそうです。

米国の国民、特に白人で低学歴層の平均寿命が以前よりも短くなっているのだ。主な原因はドラッグ、アルコール、そして自殺だ。

米国社会の最底辺では特に状況が深刻だ。

学歴が高卒以下の人々の死亡率は、あらゆる年代で、全国平均の少なくとも2倍以上のペースで上昇している。

 

 コラムでは

低学歴層の「累積的な不利」

米国の「3つの弱点」

致命的に相互作用している

と指摘されています。

 

この中の米国の「3つの弱点」とは

①不十分な福祉制度

②医療制度の混乱

③自己破壊欲の強さ

 とされています。

確かに「福祉制度」「医療制度」については、アメリカは欧州諸国や日本に比べ自己負担の割合が高く、社会的弱者に厳しい面があると思います。

 

自己破壊欲の強さ」については、コラムの中で

米国民は異常なほど自己破壊欲が強い。

とされています。

アメリカ人でないのでアメリカの国民性を正確に理解することは難しいですが、

共同体の喪失

社会的に低い評価による疎外感

家族の分断

信仰の衰退

などの要因から「絶望的な快楽の探求へと堕落してしまう(ドラック、アルコール)」ことを「自己破壊欲の強さ」といっているような気がします。

 

いずれにしても、低学歴層で米国社会の最底辺に位置する人々の「絶望による死」が増加しているということのようです。

日本もアメリカに近づいている!?

一方、以前は「一億総中流」といわれた日本でも二極化が加速度的に進んでいます。

 

現在の日本は、子どもたちの6人に1人が貧困にあるといわれています。

母子家庭の貧困率は5割を越え、収入は平均181万円。

 

二極化が進む中で、日々を暮らしていくのが精一杯という人が増えていっています。

そして、この「貧困」は次の世代につながってしまいます。

貧困の家庭で育った子どもは、教育機会に恵まれないことが多く、就職などでも不利になり、将来、非正規雇用になる可能性が高いのです。

 

非正規雇用は、正規雇用に比べ、所得に恵まれません。

しかし、現状でも雇用者全体の実に40%近くが非正規雇用になっているといわれています。

 

日本では、アメリカのような「自己破壊欲の強さ」というような面はそれ程ないような気がします。

しかし、少しずつ、いろんなことを諦めてしまっている、ということがあると思います。

 

可処分所得が年々下がっていく中、

車を所有することを、マイホームを持つことを、結婚することを、子どもを作ることを・・・・

現実的に無理な高望みはしない、と、さまざまなことを諦めてしまっている人が増えてきているような気がします。

それは一見、とても堅実的な生き方のような気がしますが、夢がないような気がします。

夢や希望がないのなら、それはある意味「絶望」と同じではないでしょうか。

日本の相対的貧困率は世界第6位

貧困には「相対的貧困」と「絶対的貧困」の2種類があります。

「絶対的貧困」とは、食料・衣服・衛生・住居について最低限の要求基準により定義される貧困レベルで、低所得、栄養不良、不健康、教育の欠如など人間らしい生活から程遠い状態のことです。

それに対して

「相対的貧困」とは「等価可処分所得(世帯の可処分所得を世帯人員の平方根で割って調整した所得)の中央値の半分に満たない世帯員」、つまり所得の中央値の半分を下回っている状態のことです。

厚生労働省の調査では、日本の相対的貧困率は2012年の時点で16.1%。

またOECD(経済協力開発機構)の「Income Distribution Database(所得配分データベース)」によると、日本の相対的貧困率は、メキシコ、イスラエル、トルコ、チリ、アメリカに次いで世界第6位にランクインしています。

 

「貧困」は一度陥ってしまうと、なかなか抜け出すことが難しいです。

「毎日を生き抜くだけで精一杯で、将来について考える時間も余裕もない」

「なんとか環境を変えようと無理をして働いても、体や心を壊してしまう」

どこかブラック企業に勤めているような状況に似ているような気がします。

 

 

ここまで脈絡なく書き進めてしまったため、話がどんどん暗くなってしまいました。

ここから、少しでも明るい方へ話を進めていきたいと思います。

 

これまでの日本社会では、1度レールから外れてしまうと、再び這い上がるのは至難の業でした。

しかし、インターネットが発展し、フリーランスやノマドワーカーといったさまざまな生き方の選択肢が選べるようになった現代社会では、以前よりも可能性にあふれていると思います。

アイデア次第では少ない元手から大きなチャンスをつかむことだって可能!

そういう意味では、2017年からの副業解禁も大きな時代の流れだと思います。


この流れに乗って、貧困に陥らないように、または貧困から脱出できるようにがんばっていければと思います。

 

"When you give up, that's when the game is over."

 

安西先生もいっていました。

「あきらめたらそこで試合終了ですよ・・・?」

 

結局、うまくまとまりませんでした。

でも、暗い気分でいてもしょうがないです。

だからこそ、「絶望による死」が逃げ出すような、きれいな言葉を!!

 

愛してます

ついてる

うれしい

楽しい

感謝しています

しあわせ

ありがとう

ゆるします

 

いつも、自分が、そして誰もが楽しくなるような言葉を使っていきたいと思います。

 

今日も、こんな記事を最後まで読んでいただきありがとうございます。

すべての人に、すべての出来事に感謝をこめて、ありがとうございます。